◆【正論】少子化で懸念される量より質の低下
平成18年1月17日 産経新聞 精神科医、国際医療福祉大学教授・和田秀樹
学力不足こそ国際競争力脅かす
≪量は高齢者雇用で対応可≫
厚生労働省の見通しでは、二〇〇五年の合計特殊出生率(一人の女性が生涯に産む子供の数)が1・26前後に落ち込み、過去最低になるらしい。そして、同年に日本はついに人口減少社会に突入した。これについて、悲観的に語られることが多いが、果たしてそうだろうか?
もちろん、少子高齢化が若年層の負担を増やし、労働力不足を引き起こすという懸念は妥当なものだろう。
しかしながら総務省や厚生労働省の統計では、七十歳以上の高齢者の就労率が高いほど、その県の老人医療費が安いという逆相関が明らかにされているし、男性の平均寿命は高齢者の就労率と正の相関関係にある。
高齢者の雇用が彼らを健康長寿に導き、医療費を減らすのであれば、少子化は彼らの雇用のためにはチャンスであるし、労働力の不足もかなり補えるだろう。また、収入や資産の多い高齢者に、より多くの負担を求める新たな税制や社会保障制度の創設は必須かもしれない。
それ以上に必要とされている発想の転換は、若年労働者について、量より質を求めることではないだろうか。
一九九九年のケルン・サミットにおいて、主要八カ国(G8)と欧州連合(EU)は、「伝統的な工業化社会」から、「知識社会」に移行したことが謳(うた)われている。
工業化社会の時代は、上の言いなりになって、手足になる労働力をたくさん必要とした。「産めよ、増やせよ」は国家の生産力に直結した。
しかし、現代では、知的レベルや技能レベルの高い労働者は必要不可欠だが、そうでない労働者は安定した職業を得られる見通しすらないと、二〇〇〇年のG8の教育大臣会合の議長サマリーでも明言されているのである。
≪失われる勉強の動機づけ≫
二〇〇五年度版の世界経済フォーラムによる国際競争力ランキングをみると、一位は三年連続してフィンランド、二位はアメリカ、三位はスウェーデン、四位デンマーク、五位台湾、六位シンガポールで、アメリカと台湾(ここも人口は二千万人程度である)以外は、人口は一千万人にも満たない小国ばかりが上位を占めている。
台湾を含めて、これらの国々の共通点は、理数教育に力を入れ、子供たちの学力が高い点である。つまり、労働力の量より質の高い国が、現在、高い国際競争力を持ちえているのだ。
中国についても、一人っ子政策によって、親が子供たちに手をかけすぎたことで、子供たちは「小皇帝」と呼ばれ、甘やかされ、贅沢(ぜいたく)をさせられてきた子供たちの行く末が案じられた。
しかしながら、その政策が始まり二十六年を過ぎ、すでにその子供たちが社会に出ているが、若手起業家や海外に留学しても成績優秀な若者を多数輩出していることは確かなことだ(もちろん、全員がうまくいったとは言わないが)。要するに親が子に手をかけた結果、彼らの教育レベルや学力が飛躍的に高まったのである。
日本における少子化の問題点は、若者の「量」が減ったこと以上に、それによる「質」の低下である。日本の子供たちは、受験を動機に勉強をしてきたために、少子化によって、高校、大学に入ることが簡単になると、勉強をしない子供が増え、学力の低下が著しいものになる。
≪マイナスをプラスに転換≫
第二次ベビーブームの子供に合わせて、高校を新設しすぎた結果、九〇年代の半ばから、公立高校の普通科でも、低位校は事実上無試験となり、九九年調査では中学二年生の41%が学校の外ではまったく勉強していない。
二〇〇七年には大学の入学定員と希望者数が逆転する。にもかかわらず、早稲田や慶応、上智のような名門私立大学は学部を増設し、むしろ入学定員を増やしているのだ。
少子化による、子供の勉強離れや学力低下に歯止めをかけ、むしろその質を高めるためには、通常の学校教育の拡充は必須のことだ。
そのためには、現行のゆとり教育の撤回はもちろんのこと、クラスの小人数化(これは前述の北欧諸国やアメリカで効果をあげている)など、むしろ少子化のメリットを生かすべきだろう。
それ以上に必要なのは、クリントン前米大統領も在任中に提言し続けた、小学校、中学校、高校の卒業試験の導入だ。入試がバリアにならない以上、新たな試験創設による選抜で日本の学力を復活させないと、少子化による若手労働力の量だけでなく、質の低下は食い止められまい。
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学力不足こそ国際競争力脅かす
≪量は高齢者雇用で対応可≫
厚生労働省の見通しでは、二〇〇五年の合計特殊出生率(一人の女性が生涯に産む子供の数)が1・26前後に落ち込み、過去最低になるらしい。そして、同年に日本はついに人口減少社会に突入した。これについて、悲観的に語られることが多いが、果たしてそうだろうか?
もちろん、少子高齢化が若年層の負担を増やし、労働力不足を引き起こすという懸念は妥当なものだろう。
しかしながら総務省や厚生労働省の統計では、七十歳以上の高齢者の就労率が高いほど、その県の老人医療費が安いという逆相関が明らかにされているし、男性の平均寿命は高齢者の就労率と正の相関関係にある。
高齢者の雇用が彼らを健康長寿に導き、医療費を減らすのであれば、少子化は彼らの雇用のためにはチャンスであるし、労働力の不足もかなり補えるだろう。また、収入や資産の多い高齢者に、より多くの負担を求める新たな税制や社会保障制度の創設は必須かもしれない。
それ以上に必要とされている発想の転換は、若年労働者について、量より質を求めることではないだろうか。
一九九九年のケルン・サミットにおいて、主要八カ国(G8)と欧州連合(EU)は、「伝統的な工業化社会」から、「知識社会」に移行したことが謳(うた)われている。
工業化社会の時代は、上の言いなりになって、手足になる労働力をたくさん必要とした。「産めよ、増やせよ」は国家の生産力に直結した。
しかし、現代では、知的レベルや技能レベルの高い労働者は必要不可欠だが、そうでない労働者は安定した職業を得られる見通しすらないと、二〇〇〇年のG8の教育大臣会合の議長サマリーでも明言されているのである。
≪失われる勉強の動機づけ≫
二〇〇五年度版の世界経済フォーラムによる国際競争力ランキングをみると、一位は三年連続してフィンランド、二位はアメリカ、三位はスウェーデン、四位デンマーク、五位台湾、六位シンガポールで、アメリカと台湾(ここも人口は二千万人程度である)以外は、人口は一千万人にも満たない小国ばかりが上位を占めている。
台湾を含めて、これらの国々の共通点は、理数教育に力を入れ、子供たちの学力が高い点である。つまり、労働力の量より質の高い国が、現在、高い国際競争力を持ちえているのだ。
中国についても、一人っ子政策によって、親が子供たちに手をかけすぎたことで、子供たちは「小皇帝」と呼ばれ、甘やかされ、贅沢(ぜいたく)をさせられてきた子供たちの行く末が案じられた。
しかしながら、その政策が始まり二十六年を過ぎ、すでにその子供たちが社会に出ているが、若手起業家や海外に留学しても成績優秀な若者を多数輩出していることは確かなことだ(もちろん、全員がうまくいったとは言わないが)。要するに親が子に手をかけた結果、彼らの教育レベルや学力が飛躍的に高まったのである。
日本における少子化の問題点は、若者の「量」が減ったこと以上に、それによる「質」の低下である。日本の子供たちは、受験を動機に勉強をしてきたために、少子化によって、高校、大学に入ることが簡単になると、勉強をしない子供が増え、学力の低下が著しいものになる。
≪マイナスをプラスに転換≫
第二次ベビーブームの子供に合わせて、高校を新設しすぎた結果、九〇年代の半ばから、公立高校の普通科でも、低位校は事実上無試験となり、九九年調査では中学二年生の41%が学校の外ではまったく勉強していない。
二〇〇七年には大学の入学定員と希望者数が逆転する。にもかかわらず、早稲田や慶応、上智のような名門私立大学は学部を増設し、むしろ入学定員を増やしているのだ。
少子化による、子供の勉強離れや学力低下に歯止めをかけ、むしろその質を高めるためには、通常の学校教育の拡充は必須のことだ。
そのためには、現行のゆとり教育の撤回はもちろんのこと、クラスの小人数化(これは前述の北欧諸国やアメリカで効果をあげている)など、むしろ少子化のメリットを生かすべきだろう。
それ以上に必要なのは、クリントン前米大統領も在任中に提言し続けた、小学校、中学校、高校の卒業試験の導入だ。入試がバリアにならない以上、新たな試験創設による選抜で日本の学力を復活させないと、少子化による若手労働力の量だけでなく、質の低下は食い止められまい。

by nippon7777 | 2006-01-17 05:52






































